― 本日こちらに参りました本題ですが…、穂苅さんにはお力添えをいただきました「美術館建設を願う市民の会」で
すが、これは深志高校の100周年記念で昭和61年にフランス近代絵画展ですか民俗資料館で開かれて、3週間で5万
人もの方が鑑賞された。それがこの市民の会が出来る契機だったと思いますが、フランスの近代絵画が松本平では
まだそんなになじみがないから、みんなに見せてあげたいという気持ちだったのですか。それともそうではなくた
またまそういうものがあるからやってみようかということでしたか
穂苅 みんなに見てもらいたい、そういう思いが前からありました。あの時は大盛会で、大勢来られました。
― それが契機となって「市民の会」が出来た訳ですが、その辺のところ、当時のご記憶に何かありますか
穂苅 松本市に本格的な美術館が欲しいという思いは年来の願いであった。中学時代(今の深志)にアカシア会に入っ
て、西澤洋さん(中信美術会顧問)も同級生でした。私は入ったものの途中で抜けたような形であまり熱心では
なかった。それでも中学2年の時だったかなぁ、ドイツとの絵画交流があって、あの当時ドイツと仲良かったん
ですね。こちらから絵を贈ると、向こうからも送ってきたりしました。私は坪庭の絵を描いて、それをドイツへ
送ってもらいました。絵については中学時代から興味がありました。
松本に本格的な美術館が欲しいというのは私の年来の希望でした。美術会の皆様にもいろいろお世話になってい
ましたけれど。
― やはり穂苅さんご自身も松本に美術館があった方がよい、というお考えがあったのですね
穂苅 和合市長の時に信濃毎日新聞に突然出たんですよ。美術館を造ると、それは現在の図書館のわきに併設と言うこ
とで、美術会の何人かの方々と「おかしいんじゃないかと・・」。それで市長に面会を求めたら、答弁に困って、
教育長が代わりに、図書館の脇に美術館を、いわゆるギャラリーを作るという答弁でした。私は怒って大正時代
から先輩が美術館、美術館と願っているのに図書館の脇に作るとはとんでもないと怒鳴った。
これはけしからんということで、美術会の皆さんと会合を開いて、こういうことではとんでもないことだ、市民
運動を興そうと。まづ手始めに駅前で通勤者に本格的な美術館を、ということで旗を振って、やがては市民会館
で市民大会を開こうというところまで相談したところが、教育委員会の連中が覗きに来ていて、市の方で反省し
て美術館をつくるということで、ギャラリーは止めになりました。
我々は本格的な美術館を作るということならと、いうのでバスで名古屋まで行ったりしました。造る場所は私の
考えでは、今の「歴史の里」辺りに6000坪の売りが出ていて、欲しければ1万坪でも2万坪でも確保できますよ、
というニュースが入ったので、高速も近いしあの辺が良いじゃないかと思いました。美術館も環境が大事だから
庭園を造って、庭園から東山も北アルプスも見える、西側には梓川が流れている。と思っていました。有賀市長
になってから美術館建設を進めて、街の中へ作ると、ちょうど警察署が動いた。作るなら長野県の代表的な美術
館だから交通の便も良く環境も良いあそこが良い、と言ったが有賀市長が何としても警察署の後に作ると言った。
これ以上反対して辞めることになってはいけないから妥協しました。ギャラリーをつくる、あのままにしていた
らえらい事になったのですが、美術会の皆さんの反対運動によって美術館になったという経緯です。
― 例の図書館の3点セット案ですね。かえって市民の結束ができたかもしれないですね。そういうことがあったので
すね
穂苅 役人だから生きている間だけチョコッと格好つければいいくらいな…後世のこと、大きなことを考えていないん
ですよね役人は。美術会の皆さんのおかげで今の美術館があります。
―「市民の会」という、あのような結束した大きな力がないと出来なかったですね。美術会だけではとても出来なかっ
たですよ。何回も「林友」の駅のそばの7階にお伺いして話をしながら市民の会を盛りたててゆきました。穂苅さ
んのお力が大きかったです。今美術館は企画展に力を入れています。我々が美術館を作ろうと思ったのは中信展、
県展をやる美術館を考えたがその思惑はちょっと外れて来ていまして、美術館では一つだけ中信美術展だけは入れ
てくれるのですが、県展は美術館の企画展に支障をきたすということで難しいといわれ悩んでいるのですが、穂苅
さんとしては、松本市美術館はどんな美術館であればいいと考えられておりますか
穂苅 美術会の皆さんと建設運動をした関係もあるのですが、美術館はこの松本の美術館だから地元を中心にした美術
展を優先して欲しいと。県展もやれるようなことも最初の構想にあったのですが、中信展・県展こそ一番ふさわ
しい時期に優先して取って欲しいと思っている。県展は冬のお客の来にくい時にやるとか美術館のやり方もおか
しいと思っています。直接美術館には当たっていないのですがその辺はどうなのですか。
― 我々は県展も我々の美術展だという認識でいるのです。なぜかと申しますと美術館基本構想策定委員会での美術会
の一番の目玉は、まず中信展、県展が開催できるよう展示壁面450mを主張し続けました。最終的にはこの主張
を委員の皆さんに受け容れられました。と言うこともあり、是非中信展、県展を美術館で開催できればとの思いが
強いのですが、美術館は県展は県のものだ、市民の税金で建てた美術館は受け入れられないという姿勢のようです
が分からないこともないのですが・・・そこを何とかゆうずうしていただければと・・・
穂苅 理屈だな。県の中心に松本があるのだから飯田からも長野、上田からも来やすい。そこに立派な美術館があるの
だから一番ふさわしい。長野の美術館は狭い。松本で県展をやるのが当たり前ではないか。
― そうなのですがなかなか行政の方はそういう認識ではないですね
穂苅 美術会で一つ教育をして下さい。
― 穂苅さんもかつては教育委員をなされましたね。教育委員の置かれている立場というのはどうなのですか
穂苅 教育委員会が教育的な小中学校の指導管理もあるが、美術館に対しては教育委員長が一番発言力があると私は思
っています。
― その辺が教育委員の人達が思っている事が良く分からないのですが、学校教育と社会教育が一緒になって動きにく
い状況になっている。美術館で面白いとなっても上へあがるとオーケーが出にくい状況になっています。美術館は
そんなに力がないものなのですか。もう少し大きな目で見て欲しい。美術会でも正式に申し出るということがなか
なか行われていないというのも過言ではないので、そういうことも必要なのかなとも思っています。最初は中信美
術展も主催で100%減免でしたが、市の方針で主催事業は止めていくとなり今は共催になっています。中信美術会ば
かり使っていいのかという問題は別として、どんどん切り崩しがかかって来ています。もしかして中信美術展も全
額美術館に対してお金を払って下さいというようなことになるかもしれないです。
中信美術展は公募の事業をやって、市民の皆さんからも作品を出してもらってやってきているのですが、そのへん
いろいろ10年経つとだんだん難しくなってきています。当初の想いと、これからのことを考え10年で検証をしたい
と思っている。そこで美術館の建設にかかわっていただいた穂苅さん達のお考えをお聞きしたいと思いました。
そして先人のお考えを聞いた方がよいのではないか、美術会でも県展を春にして中信展はお正月に移そうかという
考えもでている。早急に結論を出さないといけないのです
県内では松本市美術館ほどの規模の美術館はありません、今年正月(平成24年)に県展をやりました。
658点展示しました。来年(平成25年)飯田の美術博物館でやりますが、650点はとても無理ではないか。その次
は上田ですが創造館でやります。 それもとても無理です
穂苅 ああ、もう飯田と上田は決まっているのですか。
― そこまでは決まっています、その次は長野です
穂苅 どうして長野でするのですか。松本ですればいいのに。
― 長野は今迄ビッグハットでやっていたのですが、あそこは体育館ですよね。体育館でやるべきものではないと。な
お且300万ほどかかって、夏に時期にやったら1日の冷房費が5万円、2週間やったらとてもではないが賄いきれない。
作品を展示する場所としては松本市美術館は最高なので、ここでやりたいと申し入れがきました。美術館の姿勢は先
程話したように一年の良い時期にするのは一回だけ、やるならお正月なら固定しても良いと。それは動かせないとの
回答でした。それならば県展を今の中信展の時期に譲って、中信展はお正月にしようかと話で動いています。美術館
としてはそれ以外は譲れないと言っています。我々としては春に中信展をやり、秋に県展をやれば、とにかく長野県
展の運営委員全体の意見としては松本一会場で決まっています。そうなると長野県全体に発信する良い機会なので松
本の美術館でやりたいと思うのですがそこのところがネックになっているので、県展を全県的に発信するには中信展
の今の時期を譲って正月に持っていくしか仕方がないだろうということになっています。
― 今年の中信展は、そして指導者の現状は・・・
吉沢さん 中信展に志学館は3人出して入れていただいた。
委員長 鑑別の時に志学館の生徒とは分からないから、入選のレベルに達している。
丸林さん 県(あがた))は4人です。
委員長 一般出品者から会員になる。
林さん 高校で出品していて会員になったのが2人いる。 土曜講座がある。 一般の卒業生も来て良いとし
てある。 そこで作って出した子もいるし、授業で足りない分をそこで補完している。 学校では金を取れとい
うがそれは無視している。 放課後の指導は・・・。
丸林さん 県(あがた)は5時半までとなっている。 展覧会前は土、日が慣例になってくる。
委員長 高校には正規の美術の教師がいるのか講師対応が多いと思うが。本気で美術をやるとか時間の制約が
ある。世の中全体に正規採用で取るのが減っているのではないか。
吉沢さん 専門でない先生が多くなって、ポスターカラーの使い方がわからない子もいる。 若い先生はどう
いうふうにやっていいかわからない場合がある。
委員長 音楽の先生が美術を受け持つことになった。どうしたらよいかと聞かれたことがある。 そんな現状、
小学校の校長会の話し合いの中でも松本市内でも正規の免許を持っている人は2人しかいない。 見よう見まねで、
中学校はそこまでいかないと思うが講師対応が多い。 美術の時間が減っている。
吉沢さん 絵を描くとなると美術部は入る子が少ない年があったり、大きな問題だと思う。
― 現状を踏まえると中信美術展のはたす役割も大きいですね・・・
林さん 第1は美術工芸専任が3人、講師が6人ですね。
吉沢さん 多いですね〜
委員長 高校生に関しては灯りが見えてきた
林さん 吉沢さんはもう中学に戻るのですか。
吉沢さん そろそろ戻ると思います。
委員長 義務の場合は色々コースがあってなかなか描けない時期もこれから来る。 これから管理職になって
くると、そうなるともっと忙しくなる。 美術会でもお願いできない人が出てくる。 吉沢さんも、また中信展
に出してください。
吉沢さん 機会があったら是非…、いまは自分の制作時間もあやふやな状態です。
― 吉沢さんはおいくつですか(48です)(私は51です…丸林)、そうか案外50歳前後は人材が豊富ですね
・・・
委員長 いま教職にある30代の人が執行部員になってもなかなか出て来られない。 昔は派遣申請をすれば
美術会の仕事は半公共だった。 中信では高校で中信美術会とゆかりのある先生は貴重な存在、今からつながり
が出来るようにしたい。 伊那では高校挨拶まわりがあるり、高校生の出品が多い。
林さん 資料をがっこうへ、ただ送ったのでは駄目なんだ。
委員長 やはり担当者に直接手渡ししないといけないのかな。
林さん 他には、中信展に高校の立場から要求することはありますか。
吉沢さん 細かいことですが、資料に出品要綱が入っていると助かります。
林さん 今年の県展はどうですか。
吉沢さん 冬だと逆に何もないから、時期としてはよいのでは・・・。
― お話中ですが、そろそろ終了の時間が来てしまったようですので、委員長の方から、今夜の座談会をとおして、また
新たな視点が見えて来られたのではないか、と思われます。 さいごに一言お願致します・・・
委員長 今日は現役の先生から高校現場の様子をお聞きする機会を与えられ大変よかったと思います。
中信美術展は美術を学ぶ高校生にとって大きな励みになっていると聞いて、今後中信美術会が取り組む方向が見えてき
たように思います。 リーフレットを作成し、高校生や担当の先生方に中信美 術展の現状を知ってもらうことが、まず急務で
あると思いました。 先ほども言いましたように、中信 美術会はただ腕組みして期待しているだけでは、どうにもなりません。
高校現場の先生方に今後ご尽 力いただきながら中信美術会も出来ることを一歩でも取り組んでいきたいとおもいます。
今日は本当に本当にありがとうございました。
まだまだ話しは尽きませんでしたが、遅い時間の始まりでしたので、会場の都合もありこの辺りで散会といたし
ました。先生方にはお忙しいところを時間調整をされて出席ありがとうございました。
若者の現状は美術離れということも、当てはまるでしょうが、その気になれば昔と違い発表の場は無限です。
(若者の美術離れ、それが現状なのか、昔はそんなに美術に関心のあった若者が多かったのかとも思うのですが。)
既存の美術展が若者に、魅力ある展覧会と人、に対応できているのか、と言うことではないでしょうか。
ただここでいう対応とは、その美術展のもつ本来の趣旨までを簡単に変えて、若者に迎合せよということではあ
りません。
そんな一つの証拠に、高校生は大人と同列の勝負をして入選をしたいという、真摯な心構えを持っているところ
にも現れています。
人集めに何でもありと云うのでは、その本質を見抜かされてしまいます。たとえ若者であろうと誰であろうと、
真剣勝負をしたら良いのではないでしょうか。数は力でもあり、また力でもありません。
那須委員長の手腕に期待いたします。
林 宣孝 さん
那須委員長 いま中信美術展に限らず公募展、団体展は若い人が入っていかない傾向にある。 特に若い
人の間には中信展は年寄りのものという感覚を持っているのではないかとさえ思う。 県展にしても、中信
展にしてもまず20代、30代の人たちが積極的に出品するということが激減している。 日本の全体的な傾向
ですが、そういう中で高校生が中信展に出品してくれるのは魅力です。 それからずっと続けて出してくれ
る人があるかもしれないが、いろいろ進路の関係でその道を志す人もあれば、全然違う仕事に行く人もあり
いったん離れたりするが、しかし高校生が入ってくれるということは、こういう世の中、とくにこういう時
になると是非にと思う。 今年は志学館と県ヶ丘、そして第一高校が出して頂き良かったと思う。 点数
的にも一般出品が減って来ていて、一般出品者は新しく出す人は圧倒的にカルチャーから出してきている。
新会員を見ていると高齢者が多い。 そういう意味では高校生、昔のようにただ腕組んでいるだけではな
く、我々が積極的に高校生に声を掛け、呼び掛けていくことが必要ではないか。
― 現場の先生にその辺の想いを聞かせて貰えれば・・・
− 序 −
先日、桜の花のさきそろう薄川河畔で、本年も万葉歌碑建立記念祭が行われたと、地元紙にあった。歌碑建立祭主催代表
は穂苅甲子男さんだ。この松本平で穂苅さんの名を知らぬ人のほうがめずらしいのでは。事業家であり、戦後自身のロシア
抑留を「 シベリア俘虜記」として出版されたり、戦前の自らの中国との関わりから、今日まで中国との民間交流に力を注ぎ、
中国梨樹県と葫蘆島市から終身名誉市民を授与されたり、身の回りに関わるいろいろな役職をこなし、そのうえ地元の文化
活動にも理解と力をそそがれており、これを書き上げてゆけば枚挙にいとまがない。
ここに穂苅さんに登場いただいたのは、日頃私たち中信美術会では穂苅さんには、いろいろな面で大変お世話になって
おります。昨年、松本市美術館が開館設立10周年を迎えました。中信美術会も美術館設立運動には、中信美術会の持て
る力の全てを設立運動につぎ込みました。穂刈さんには、その美術館設立運動の時の「市民の会」代表を務めていただき、
お忙しい身でありながら運動にご奮闘いただきました。
本来ならば美術会として美術館10周年の検証をすべきだったのですが、10年という歳月は伊達に過ぎて行ったのではあ
りません、人は去りそして老いてまいります。検証はなかなか難しい面を見せました。
穂苅さんは、ただいま88歳をお元気で迎えられております。 昨年、その当時のお話を伺っておかねばと思い、足を運ばせ
ていただきました。
― いろいろ細やかな配慮が必要なんですね・・・ 高校生に向かっての具体的な案は・・・
委員長 今年の実績をリーフレットにして作って各校に配るのはどうだろうか。
丸林さん 良いのではないですか。
吉沢さん そういうことをすると学美展にも良いことです。
委員長 講評会の時に、時間をもらって呼びかけることは可能かな。
丸林さん 可能ではないですか。 今年の学美展の講評会は最終日の10月23日です。
委員長 中美のホームページも見て貰えば分かるようになればよい。 リーフレットに高校生の作品写真を
入れるのはどうかな。
吉沢さん 表に中信展とあって、裏に高校生の入賞作品があると、高校生に着地点がわかって良いと思います。
今安くできる。 先生方に視覚的に中信美術展がわかるようにしたら、もっと関心を持ってもらえると思う。
委員長 学美展の前に作ればよいのですね、会報なども自分たちの会だけでやっていてもいけないと思ったり
するのだが・・・。
― 少し美術会は立ち遅れているのかな・・・
委員長 中信美術展を紹介するリーフレットがあると良いね。高校生に対しての宣伝活動、美術館サイドにも
協力をしてもらえるようお願いしてみる。
林さん とりあえず目標は学美展だね。
丸林さん 学美展は賞はでないが、県の方に行くのが一つの励みになっている。
委員長 よい話を聞かせていただきました。
丸林さん 出品するのは2年生からです。
委員長 作品が多く出る高校は。
丸林さん 全員出る。エクセランは大量に出て来ます。
委員長 会場がいっぱいになる。
丸林さん 170点とか出てくる。
― どのような受け皿を作れるか・・・ 中信美術会が若手の育成に真剣に取り組めるかということですね・・・
林さん 第一高校は出品料半額は学校で補助をしている。
丸林さん 勧める方は万が一落選したらとの怖さがあるけれど。
林さん 今年落選した子は私が出した。 他の子が入って、仲間が落ちるのは切ない。
委員長 心情的にはそうだが、それも大切な教えだ。
林さん キャプションに高校名を、あるいは学のハンコを突くのはどうか。
委員長 高校生の標示はあっても良い。鑑査の時にはわからない。 大町高が出した時、小品すぎ入選でき
なかったけれど、あれは惜しかった。 ジャンルの違うようなものを出すようなのは困る。
丸林さん 指導者が中信展を見てないとそうなりますね。
林さん 展覧会を見て貰えば分かると思うけれど。 陶芸は難しい、中信展出品に合わせるのは大変です。
絵はどうなのかな。
丸林さん ある程度アドヴァイスをして、時間さえかければ。
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丸林俊二 さん
林さん 中信展入選がきっかけになって美術のほうに進む子はいるのかな。
丸林さん 前任の蟻ヶ崎ではありました。 我々の頃は中信展には出さなかった。
吉沢さん 先輩が賞をもらって憧れたことがあります。
委員長 作ったものを発表するのは、その子にとっても成長の助けにもなりますね。
吉沢さん ただ連中にとって3000円が大きいということがあり、1回目は出品料なしと云う事が可能か、とい
うような事があったらなんて思います。
吉澤 俊 さん
丸林俊二さん 県では中信展を一つの大きな目標にして、生徒にチャレンジさせたいと思っている。 ク
ラブ活動として中信展を目標にしようと話してやっています。 ただ漠然と描いて文化祭や高校生の展覧会だ
けだと、やはりもう一歩モチヴェーションが上がらない。 中信展という、もしかしたら落選してしまうかも
しれない高いハードル、大人の人の中で入選をして飾ってもらえる喜びを味わってほしくって、目標としてや
っています。
吉沢俊さん 私は中学の教員で高校は仮住まいのようなものですが、志学館の生徒について言えば、丸林先
生がおっしゃったように、外に自分の絵をお客さんや審査の方に問うて自分の絵の力を客観的に見る機会を与
えて頂いている、というところですごくありがたいと思っています。 今年も発表の日に子供たち2人で来て、
ずっと外で発表を待っていたようで、発表があったらすごく嬉しかったようで、すぐに報告してくれました。
こういう機会はなかなか学校の中ではできないので、そういう意味で出させて頂いてすごくよかったなと思いま
した。 一昨年も出させて頂いて同じように感動して、おばあちゃんが一緒に行ってくれたとかがあり、機会を
持てると実際に飛び込んでみると、すごく良いということが子供達わかるのだなと初めて経験しました。 去年
出せなかったのは実は文化祭と被っていたため残念でした。 こういう機会があるということはすごく良いと思
っています。
那須弘司委員長
― 今夜は「高校生にとって中信美術展とは・・・」という表題で、現場におられる先生方に集まってもら
いました。学校現場の話を伺 って、本心には中信美術展も若い高校生が起爆剤になってくれれば良いな、と
の期待もあるが、現場としてはなか なかそは難しい、などの話もあると思うが、そのようなお話も伺いたい
と思います・・・
第1回は、「 高校生にとって、中信美術展とは・・・ 」 と題しまして、去る9月2日午后7時より美術館子供創造館で、
個展開催中の会場をお借りして、座談会がおこなわれました。
当日は台風の 影響か、時おり雨の降るなか、中信美術会那須弘司委員長、中信展に出品をされた高校生を指導し
ておられる県ヶ丘高校・丸林俊二中美会員、第一高校・林宣孝中美会員、そして志学館高校・吉沢 俊さんでの座談
会を収録いたしました。
中信美術会ホームページ・特集編
■ 第2回特集編 「穂苅甲子男氏をお訪ねする」
穂苅甲子男 三年四組時代の作品
― 穂苅さんのおっしゃる美術館の在り方というのは、地元の美術館ですから地元を大事にしないと…
穂苅 そうです。地元の美術館ですからね、地元の美術を高揚させないと。
― 中央の美術館と同じような姿勢で美術館を運営されていたら地方の芸術文化活動はちょっとあの場では出来なくなり
ますね。今7割減免で、大体30万から40万負担しています。将来的には減免なしとの話もあり、そうなると美術展は
出来なくなってしまいます。2週間借りたら150〜160万はかかります。会費を上げましたが、年齢が高く年金生活者
が多く、会費を上げていくというのは限界にきているので、美術会の運営は難しくなっています。松本市も地方の楽
都の音楽や歌舞伎だけではなくもっと美術に力を入れて頂きたいとの気持ちがあります。
というのが今の10年目の現状です。美術会もこれから運動やら問いかけをしていきたいと思っています。これから先
はどうなるのかと思いますが、どうなるかと言ってばかりいても仕方がないので何かしなければならないと思ってい
ます。現在の行政サイドはこういうことです。一本の企画は大体40〜50日です。美術館は4本の企画展前後で10日
を入れても後の100日近くは空いている。中信展や県展をやるときは何も美術館に迷惑はかけていないのです。折角税
金で建てたものを、そんなに空けておかなくても良いのではないかと言うのが我々が思うことで、美術館には館の考
え方があるのでしょうが。行政サイドは一つの施設に何人入るか、数が入れば良い、停滞すると駄目だと言われる、
そういうことになっているように思えるのです。もう少し柔軟に考えて貰えれば、松本市美術館だってもっとよくな
ると思います。県展をやり全県的に知れ渡り、全国的にも良いと言われればこんな良いことはない。それが空きがな
いと言って切られていくのはさびしいと思います
穂苅 菅谷市長は美術館に対して何の意見もないですか
― われわれにはわかりません。今までにもオープニングには市長が来て下さったが、顔を出してもらえない。挨拶に行
っても会って貰えないです。こういう状況にあると話をしたいのですがなかなか駄目ですね、美術会も市長に用事が
あるなら、申し入れをしないといけないのかとも思います。中信美術会も人脈が少しキレてしまい、思いが伝わりに
くくなっています。そこへ来てみんな敬遠してしまうことがいけないのですが
今回の中信美術展はおかげさまで4700人の鑑賞者がありました、もう少し入場者が増えてくれると心強いのですが、
美術館の景観でも、石井柏亭の碑があるのですが、台座が割れて落ちたまま、初めは横に立てかけてあって、今は碑
の後ろに於いてあるように見た。そういう手入れは誰がするのか、そういうことにはあまり気にしない。市民ギャラ
リーの壁もシミがでたりしています。以前はこちらが少しでも傷をつければ、なおせと言われ直したんですが、いま
は疲れが出てきているようです。もう少し元気を出してもらいたいです
穂苅 石井柏亭の碑はまだ直していないのですか
― 確かまだ直っていないような気がします。最初はかけたところが白く見えていましたが、今は他と一緒になっていま
す。あれは市の物なのですか、良く分からないです。中信美術展も10年間は使わせて頂いているのですが、せっかく
の美術館ですからこの先ももう少し元気を出して草間弥生ばっかりが元気ではなくて、他の人も元気を出せるように
おねがいしたい…
穂苅 草間弥生ばっかり。やはり石井柏亭とか美術に尽くした人の功績を形に残していかないと。松本の美術会を育てた
人の大先輩については顕彰をしてもらいたいと思います。
― 美術館は美術館としてのいろいろな方法論を抱えておられるでしょう。私ども美術会も美術館を単なる借りフロアーの場と考えて
いるのではありません。美術館の持つ使命を支えながら、地方の美術展も成り立ってゆけるようなお付き合いができ、より良い
関係を保てるよう、美術会も足りないところは勉強をしてゆきます
本日はお忙しいなか貴重なお話、長時間有難うございました!
第一弾、特集編「 高校生にとっ て、中 信美術展とは・・・ 」 2011 9 /10
2012 7/2 撮影
林さん 文化祭の作品がなくって慌てて作ったりして。
委員長 そういう指導は難しいね。 だがたくさん育っているね。
林さん 感想文を書かせると美術館に飾ってもらえて一生の思い出だと書いてくるんだ。
委員長 親だって嬉しいよ。早速リーフレットを作る計画を立てたい。
林宣孝さん 中信展には生徒みな見学に連れてきます。 自分の先輩の作品が並んでいる、それを見るとそれ
が目標になる。 いま2年生にも挑戦させていますが、中信展に出すのが目標になり、その中で賞をもらうとそれ
が刺激になって、美大で陶芸を選択していった子もいますし、まだこれからも出てきます。 そういう1つの目標
を作るのに中信展というのはすごく大きな力になっている。
― 委員長いかがでしょう。 中信展というのは高校生にとっては一つの目標になったり、いろいろな励みにも
なっているのですが・・・
委員長 そういう話を聞くと嬉しいです。 今の現状を知りたいのですが学美展などありますね、今美術をや
る若い人たちが非常に多様化しているというのか、いま他の高校で純粋にデッサンをしたり絵を描くとかそうい
う活動はちゃんとなされているのでしょうか。 それともアニメのほうに走るとか、中学校でもアニメっぽいも
のをやるとかそういう傾向に走って、あるいはCG関係に行って純粋にやる子たちが減っているというような傾向
はないのかどうかということですが。
丸林さん 学美展に出てくる作品を見ると思いの他、本格的な作品を作り上げてくる子がほとんどです。それ
ほど危惧はしていないが、どうしても安きに流れるというか漫画的な傾向に放っておくとなりがちです。 です
から指導者がある程度手を入れないとレベルの高いものにならない気がします。 意外とちゃんとしている気が
します。
※学美展とは…松本学生美術会(木曽・中信・大北地方の各高校美術部の集まり)で開催する美術展
委員長 ということは、我々が中信地区の他の高校に積極的に呼び掛ければ、参加してもらえる可能性はある
ということですか。
丸林さん 審査期間中に高校生も出品できるのかと聞かれました。 美術会から学校への連絡は、掲示はして
くれるかもしれないが、生徒に浸透していないケースもあるともう。
林さん 先生の取り組み方次第かな・・・。
丸林さん 其れもありますね。
このインタビューは昨年7月に行われました。その後、中信展及び県展の開催について進展があり、開催以来長きにわたり春に開催されてきました、我が中信美術展を県展と入れ替え正月に移行するという苦汁の選択になりました。これも中信美術会が県展の歴史との関わりにおいても少なからず主導的な位置を保ってきたという自負心に他なりません。
中信美術展が2年後に正月中信展と装いを新たにすることについては、中信美術会企画構想委員会が既にもたれています。近頃ハヤリのイベントの為のイベントに終始するのでなく、会員自身が美術への向上心を強くもち、作品に表現してゆくことを念頭におくことが先ず第一ではないだろうかと思うのだが。
このインタビュー編集に長く時間がかかってしまったことを穂苅様にはお詫び申し上げます。
さいごにこの編集にかかっております時に、穂苅様の奥様の訃報に接しました。
謹んで哀悼の意を表し、お悔やみ申し上げます